お世話になった物理学者がある日、古い新聞記事を見せてくれました。1984年に亡くなったポール・ディラック(Paul Adrien Maurice Dirac)の追悼記事です。私の記憶ではフロリダのローカル新聞の記事だったと思います。ディラック博士はイギリスに生まれ、晩年は米国フロリダで過ごしたそうです。
記事を紹介する前にまずディラック博士がどういう人であったかを簡単に説明します。1902年生まれで1920年代半ばころに完成されつつあった量子力学の立役者の一人です。反物質と呼ばれているものの存在を予言し、見事的中、31歳でノーベル賞を受賞しています。当時「少年物理学者」と呼ばれたうちの一人で、現代物理に大きな影響を与えた人です。
彼はかなりの変わり者だったようです。ほとんど話さず、情緒的な会話はしなかったといわれています。例えばあるセミナーで質問があるかとディラック博士が聞くと、ある人が「そこの方程式がよくわかりません」と発言しました。するとディラック博士は長い沈黙のあと「・・・それは質問ではなく発言(statement)です」と答えたそうです。さらに詩についてこういっています。「詩はわかりきったことをわかりにくい言葉を使って表現する。科学はわからないことを誰にでもわかる言葉で説明する」さらに一部では「ディラック」という単位が使われていました。1ディラックは1時間に一言発言する、という値です。
何となくどういう人かわかったと思うので、その新聞記事について書きます。記憶に頼っていますがおおむね正しいと思います。
記事によればディラック博士は同僚のユージン・ウィグナー博士の妹と結婚をしました。ウィグナー博士はアインシュタインと同じくらいの天才だといわれていたハンガリー出身の物理学者です。そしてそのディラック夫人によれば「私は主人が泣いたのは一度しか見ていないない。1955年にアインシュタインが亡くなった時だけだ」
さらにその記事では生前ディラック博士が語っていたことも紹介されていました。「数学には美しさがあり、その美しさを感じることができる人は数限られている。」「その最たるものが一般相対性理論である。」
読んでいて私はなるほどと感じました。ただし最後だけは少し違う印象でした。ディラック博士といえば一番活躍した分野が量子力学です。この分野は一般相対性理論とは分野としては全く違います。少なくとも当時は量子力学と一般相対性理論との接点は限られていました。ですから少し驚いたのです。(物理は他の学問と同様かなり専門分野ごとに分かれていて、横断的に研究する人は少ないです)
天才ディラックをも魅了したのが一般相対性理論です。
調べたところ、ディラック博士は一般相対性理論の本も書いていました。なお、彼の量子力学の本(Principles of Quantum Mechanics)は物理学生であれば誰でに知っている名著です。
余談の余談ですが、アインシュタインもディラックも数学の表記を発明しています。ディラックの場合「ブラケット記法」といって<や>を使いベクトルや期待値(平均値)を表します。ブラケット(braket)はカッコの意味で彼は < をブラ、> をケットと呼んでいます。