「まだいけるだろう」

「まだいけるだろう」とは父が私に言った言葉です。私が14歳の時だと思うのですが、父に殴られ、ベッドに投げ飛ばされました。殴られた理由はまったく思い出せないのですが、昔はそういう親父がいたものです。この時の状況は「お前は体が大きくなったけどまだまだだ」というニュアンスがありました。ちなみに父は決して暴力を普段から振るう親ではなかったです。

さて、年とともに「まだいけるか」と思うのはどの世代でも共通しています。別に年寄りだけの専売特許ではないです。社会人になりたての若い人でも「昔みたいに・・・・できるかな」と思うものです。「あの頃は・・・・をよくやったな」と、18歳でも80歳でも思うことはあるわけです。もちろん「・・・・するにはまだ若すぎる」ということもあります。

さて本題に入ります。私はプログラムを中心に仕事をしています。通常プログラマは年齢とともに実際のコーディング(プログラムを書くこと)から離れ、次第に全体の設計をするのが優秀なソフトウェア技術者の典型です。しかし私のように少人数でプロジェクトを立ち上げる場合企画から設計、コーディングまですべてを自分たちでやる必要があります。そこであるときプログラマになりたての頃を思い出しました。そう、昔のことを思い出し感傷にふけるというのは年を取った証拠です。

駆け出しのプログラマである「当時」の私にとってテキストエディタや表計算ソフトを部品を使わずに一から全部自分で作ることは並大抵のことではありませんでした。そもそもどうやって作ればいいかも想像できませんでした。しかしいろいろと考えていくうちに何となくこうすればできるかもしれない、ということに気が付き、あとは勢いで夜もほとんど寝ずに作り始めました。今から考えると幼稚なつくりなのですが、とりあえず形にしたのです。ちなみに現在は多くの場合、エディタを自分で一から作る必要はなく、多くの「部品」が流通しています。

さてそんなある日、「最近は企画ばかり立てているが、あの時のように全部自分でテキストエディタを作れるだろうか」と思いました。そして思っただけでは進歩がないので、以前作ったエディタ(知子の情報に組み込まれています)よりももっとモダンできれいなものを作ると決意したのです。そして作り始めました。

若いころは「C++言語で一日1000ステップ」を書くこともあった私です。では数十年後、その実力、いやそれ以上のことができるか!という昔を思い出すだけではなく、もっと前向きな挑戦にすることとしました。そして開発期限を一か月後として作り始めました。当時と違うのは頭の中でより時間をかけて設計したことと、昔の悪い点を反省しての出発であったという点です。

そして1か月後にエディタを完成させました。Windowsのアプリらしいユーザーインターフェイスのエディタです。そしてエディタ機能だけではつまらないのでデータベースと結合し、書いた文書をファイルではなくデータベースに保存するようにしました。(データはローカルの自前のデータベースに保存することも、遠隔地のWaffleCell内のデータベースに保存することも可能です)さらに文字飾りなどの機能を拡張できるような仕組みとなっています。全部で2万行弱ですから、開発速度もそんなに落ちてはいません。

「まだいけるだろう」

途中からソースコードは作成中のエディタを使って書くようにしました。近日このエディタを内蔵したデータベースを皆さんに使えるようにいたします。

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